先輩移住者インタビュー
interview
「何もない」を「何でもできる」に変える。
地域資源の宝探しで多良木町に根を張る。
多良木町
2017年にJターン 矢山隆広さん

放置竹林から「多良木メンマ」へ。未利用資源を宝に変える矢山隆広さんの9年
熊本県球磨郡多良木町。人口約8,500人のこの小さな町に、2017年夏、縁もゆかりもない一人の男性が移り住んだ。矢山隆広さん(40歳)。元地域おこし協力隊員で、現在は「悠久農園」代表として、放置竹林整備と国産メンマ「多良木メンマ」の販売を手がけています。
「移住当初はこの町で自分に何ができるだろうと思い悩んだ時期もありましたが、今は逆に何でもできると思えるようになったんです。」
取材当日、矢山さんは笑いながらそう語りました。都会育ちの移住者が、どのようにして「田舎の現実」と向き合い、未利用資源を武器に変えていったのか。その足取りを語ってくれました。

竹林の中で竹林整備の重要性について語る矢山さん
東京での2年間、そして「ふるさと回帰」への決断
熊本市で生まれ育ち、大学も地元。卒業後は地元スーパーで6年勤務。30歳を目前に、矢山さんは大きな転機を迎えます。「特に目的もなかったけど、東京行ったら何かあるでしょ」という軽い気持ちで上京し、2年間アルバイトをしながら過ごしました。
その頃、ふと調べ始めたのが「熊本を始め、様々な地域の田舎で自給自足している人たち」のことでした。
「なんか面白い人が熊本にいるんだな〜って。田舎で自給自足して暮らしてる人とか。田舎ってすごくいいなって思ったんですよね」
矢山さんの心を動かしたのは、田舎暮らしへの漠然とした憧れでした。
そんな中発生した熊本地震。兄弟はみな熊本から離れており、両親は熊本にいる。「熊本に戻ろうかな」と自然に気持ちが動いたそうです。しかし、仕事はどうするか。そこで、有楽町にある「ふるさと回帰支援センター」で相談したところ、タイミングよく地域おこし協力隊の説明会があると紹介されました。多良木町の募集内容が割と自由度が高く自分に合っていると思い、その日のうちに応募。翌月には多良木町に引っ越していました。決断から移住まで、わずか1ヶ月。矢山さんの行動力の早さがうかがえるエピソードです。

長年放置された竹林
夜の駅で感じた「やばい…暮らせないかも」——最初の3ヶ月
初めて多良木町に来たのは、くま川鉄道を利用して降り立った夜8時頃の多良木駅でした。辺りは真っ暗で、街灯もほとんどない。「マジで不安になって。『やばいとこに来てしまった』って。直前まで東京にいたから、ギャップがありすぎて『ここで暮らせないかも』って本気で思いました」。知り合いゼロ、慣れない田舎の生活。最初の3ヶ月は週末ごとに実家のある熊本市に帰っていたといいます。
「今はそう思わないけど、当時は東京という何でもある場所から来たので、余計に何もない場所と感じていました。」。都会の喧騒から一転、静寂に包まれた多良木町での生活は、矢山さんにとって大きな挑戦でした。

移住初日の不安も今では笑い話に。
転機は「キャンプイベント」。情熱的な30〜40代の地元の人たちとの出会い
そんな中、多良木町が開催した都市部の企業人や有識者を招く2泊3日のキャンプイベントに参加したことが大きな転機に。「それまで町民とのつながりはほぼゼロでした。同じくらいの年代の30〜40代の人たちが町について熱く語っている姿を見て、こんな素敵な人たちがこの町にいたんだということを知ることができ、そこからその方たちとの交流が始まり、その人たちと過ごす時間が増えていきました」。地元で活躍する人たちとの出会いが、矢山さんと多良木町の関係を深めていきました。

幼竹の穂先天ぷら
協力隊ミッションから広がった「地域資源活用」の世界
協力隊のミッションは「農林産物等プロジェクトマネージャー」。当初は町で生産されていた薪の売り先探しに取り組んでいたものの、1年弱で壁にぶち当たりましたが、担当者に背中を押されて視野を広げて地域を見ることに。町内を巡る中で見つけた未利用資源に「息を吹きかけて価値あるものに変えよう」と、さまざまな実験を展開しました。「もったいないものを活かすのが純粋に楽しかった」と矢山さんは振り返ります。

竹の可能性について熱く語る矢山さん
「放置竹林」から「多良木メンマ」へ
協力隊卒業後、矢山さんが本格的に始めたのが放置竹林の整備でした。整備されることなく放置され続けた結果、竹だらけになり陽の光が入らなくなった暗い竹林を整備すると、陽の光が入るようになり、驚くほど綺麗な竹林に生まれ変わります。ところが、そこから大量のタケノコが出てくる。掘りきれないほどです。2ヶ月もすれば立派な竹になるため、せっかく整備した竹林がまた荒れてしまうという課題に直面しました。
「これを綺麗なまま維持するにはどうしたらいいのか…」。調べていくうちに、福岡県糸島市でタケノコから竹に成長する途中の2mぐらいのタケノコである幼竹を利用した「国産メンマ」を知りました。鍬もチェーンソーもいらない、ノコで5秒ぐらいで簡単に採ることができる。しかも幼竹を採れば竹になる本数を抑えることができる。「これだ!」と思った矢山さんは、すぐに糸島市に研修へ。米どころ・多良木町に合う味付けを追求し、地元産の梅・柚子・味噌を使った「梅味」「ゆず味噌味」の多良木メンマを完成させました。

現在販売中の多良木メンマ。辛子味噌味と白味噌ジェノベーゼ味
「この街に貢献したいという想いは、ずっとあるんです」
竹林事業7年目。「地域の人に竹林のメリットを伝え、関わる人を増やしたい」と語る矢山さん。「メンマや竹炭の事業で雇用したり、幼竹を買い取ったりして、モデルケースを示したい」。
矢山さんの原動力は二つ。一つは協力隊時代に「何一つ形にできなかった」という後悔。もう一つは「地方は宝の山だ」ということを示したいという強い想いです。自身も熊本の田舎育ち。「この田園風景が好き」という気持ちが根底にあり、この町には何もない、と町の人はよく冗談めいて言いますが、宝探しのように資源を見つけて価値化することで、住む人や子どもたちに「自分の町をもっと誇りに思ってほしい」と願っています。
「何もないからこそ、何でもできるんです」。矢山さんの言葉には、地域への深い愛情と、未来への確固たる信念が込められています。

竹林での作業風景
移住を考えている人へ——「宝探し」の目線を持てるか
「車がないと厳しいです。遊ぶ場所も、既存のものに頼るんじゃなくて、自分で探したり作ったりする楽しさを味わえる人が向いていると思います」。矢山さんが一番伝えたいのは、「何もないからこそ何でもできる」ということ。
「竹1本取っても、葉っぱで染め物ができたり、幹の部分は飯盒にできたり、穴を開けてライトを入れればイルミネーションにもなる…妄想が無限に広がる。地域資源を『宝探し』する目線を持てるかどうか。それが鍵だと思います」。都会だと「あるもの」に頼りすぎて、自分で発掘する視点が育ちにくい。多良木町のような田舎は、逆にその視点を磨く最高のフィールドだと、矢山さんは確信しています。

矢山さんと有志たちが整備した竹林。
終わりに
放置竹林を整え、未利用の幼竹に価値を見出し、地域の資源を循環させる。移住者として田舎の現実と向き合いながら、「何もないからこそ、何でもできる」という視点を見出した矢山さん。その思いが、町の人たちやこれから移り住む人たちの心にどのように広がり、根を張っていくのか 。
その挑戦は、これからも続いていきます。










