ひとくま暮らしナビ

先輩移住者インタビュー

interview

嫌々Uターンした私が、
湯前の温泉フロントで見つけたもの。

錦町

2022年にUターン 若竹玲奈さん

若竹玲奈さん

垣根を越えて。人吉球磨10市町村のゆるやかな循環

若竹さん「最初は、本当に嫌々のUターンだったんです。東京にまだまだ未練もあったし、帰りたくて仕方なかった」

あっけらかんとそう笑うのは、元ウェブディレクターの若竹玲奈(わかたけ・れいな)さん。

都会の生活に疲れ、癒しを求めて地方へ 。そんな、よくある移住のエピソードとは全く異なる理由で、故郷である熊本県球磨郡錦町に帰ってきた女性がいます。

そんな彼女が、なぜ今、湯前町の温泉施設「湯楽里」で働きながらローカルメディア(ZINE)を自ら企画し、行政や市町村の垣根を越えた「関係人口」創出の架け橋となっているのか。閉じていたアンテナがパッと開いた瞬間のこと、それから彼女が描く、人吉球磨10市町村のゆるやかな未来について、じっくりとお話を伺いました。

 

15歳で離れた故郷と、「オタク」がくれたウェブへの切符

若竹さんは15歳の時に一度、人吉球磨地域から八代市へ。

 

若竹さん「とにかく、地元を出たいという気持ちが一番にありました」

 

進路に悩んでいた中学時代、先生の勧めもあって八代高専(現・熊本高専八代キャンパス)へ進学。しかし、思い描いていた世界と、情報電子工学の専門教育とのギャップに馴染めず、途中で退学を選択します。

その後、大検(高卒認定資格)を取得するために熊本市内へ移り住み、予備校や専門学校へ通うものの、心の中の「違和感」は消えませんでした。自分が本当にやりたいことと、進学というレールがどうしても一致しない。そんなモラトリアムな日々の中で、彼女の運命を決定づける出会いがありました。

 

若竹さん「高専に入ったとき、親が入学祝いにパソコンを買ってくれたんです。当時としてはすごく高価なものでした。実は私、その頃からかなりのオタクで(笑)。当時、こっち(熊本)では受信できないラジオ番組があったんですけど、ネット上にはその番組のレポートを文字起こししてアップしてくれる有志のオタクたちがいたんです」

「ただ読むだけじゃなくて、自分でHTMLとCSSを独学で使って、画面上の見た目を綺麗に整えて読むのがすごく楽しくて。あ、ウェブの仕事なら、自分にもできるかもしれない。そう思ったのが、私の原点です」

 

24歳の時、本人の言葉を借りるなら「着の身着のまま」東京へ飛び出しました。派遣の事務職からキャリアをスタートさせ、ウェブ制作の現場に少しずつステップアップ。当時全盛期を迎えつつあったソーシャルゲームの運営会社にアルバイトとして滑り込みます。そこでデザイン、 コーディング、および全体の進行管理を行うディレクション業務までを徹底的に叩き込まれました。

 

 

「30分の雑談」で始まった独立と、突然のストップ

気が付けば東京での生活は15年。Webディレクターとしての腕を磨いた若竹さんは、ある会社の面接で人生の転機を迎えます。

 

若竹さん「Webディレクターって、何よりもコミュニケーション能力が必要とされる仕事なんです。ある会社の面接に行ったとき、仕事の話はそこそこに、面接官と30分間ずっと他愛のない雑談で盛り上がっちゃって。そうしたら『30分間雑談が続いたから採用』って言われたんです(笑)」

 

それをきっかけに、業務委託という形でフリーランスのWebディレクターとして独立。デザイナーとエンジニアの間に入り、プロジェクトを円滑に回す。東京の最前線で自分の実力を証明し、順風満帆に見えた彼女のキャリア。

しかし、突然の体調不良。全てにストップがかかってしまいます。

それまでのような働き方が肉体的に難しくなり、さらにはコロナ禍による生活環境や私生活の大きな変化が重なったことで、不本意ながらも「嫌々Uターン」をすることになります。

 

若竹さん「嫌々ながらの、Uターンでした。最初の2年間は本当に東京に帰りたくて仕方なかった。体調もままならないし、家にいてもリモートの仕事がたくさんあるわけじゃない。ただ無為に時間をやり過ごしている感覚が、すごく苦しかったですね」

 

 

湯前の温泉「湯楽里」が変えた景色

焦燥感に包まれていた彼女の心を救い出したのは、地域の人手不足という「リアル」でした。

母親の同級生から「湯楽里で、人が足りないらしいよ」と声をかけられ、働き始めることになります。

それまで接したことのなかった奥球磨の人々と温泉フロントを通じて対峙し、言葉を交わす日々。地元の同世代の繋がりが一切ない中、温かい地域の人たちに触れ合うことで、後ろ向きだった彼女の視線が、少しずつ前を向き始めます。

 

若竹さん「15歳で地元を出ているから、同世代の友達もいないし、大人の知り合いも親戚以外にいない。この状況を打破するには、自分が動くしかないって思ったんです。それで、スタートアップウィークエンド(起業体験イベント)や、ひとよしくま熱中小学校(大人のための社会塾)に参加するようになりました。そこで一気に人脈が広がっていって。自分が『この地域で何か面白いことをやりたい』と思った瞬間、地域を盛り上げようとしている面白い人たちの情報やイベントが、次々と吸い寄せられるように入ってくるようになったんです」

 

現在、若竹さんは「湯楽里」での通常業務をこなしながら、得意のWebスキルを活かして、自発的に公式Instagramの更新や館内の掲示物作成、施設の改善企画の立案などを精力的に行っています。

 

 

球磨村から人吉球磨全体へ

「スナックレーナ」とZINEが紡ぐ循環の未来

若竹さんの活動は、自身の地元である錦町や、職場のある湯前町だけに留まりません。球磨村のローカルビジネスイノベーションのプロジェクトにも深く関わっています。

 

若竹さん「人吉球磨という地域は、錦だけ、湯前だけ、とバラバラに動くのではなく、10市町村全体がなだらかに循環しないと意味がないと思っているんです」

 

地域の中にいると、行政が目指す方向性と、住民のリアルな想いとの間にギャップが生じてしまうことがある。その現実を目の当たりにしたからこそ、若竹さんは「外」と「中」を繋ぐ接着剤になろうとしています。

 

若竹さん「今は、球磨村の『神瀬(こうのせ)みんなの家』を取材しています。そこで修(おさむ)さんがやっている『おさむカフェ』に行ってきて、どうしてカフェをやることになったのかを聞き取って、それを1冊の『ZINE(個人の冊子)』にまとめようと企画しています。10月には熊本のZINEフェス、11月には東京のビッグサイトで開催される『文学フリマ』に出店する予定です」

 

ウェブでは「note」で発信し、紙媒体では「ZINE」を使って人々の生の体温を伝える。さらに、若竹さんの企てはそれだけではありません。

 

若竹さん「球磨村の神瀬(こうのせ)地区にある空き店舗を使って、『スナックレーナ』をやりたいなと思っていて。カラオケを準備するのはお金がかかって大変だから、最近ハマりかけているレコードを持ち込んで、音楽を流しながらおじちゃんたちとただ喋る。お酒は勝手に取ってもらうようなセルフスタイルで(笑)。そんな面白い関わり方を、今ちょっと模索している途中なんです」

 

一見、小さな村 の 小さな取り組みに見えるかもしれません。でも、この手の届く距離の楽しさこそが、次の誰かへと伝播し、やがて人吉球磨10市町村をなだらかに繋ぐ循環の起点になると信じています。

 

 

人生をただの「消費」で終わらせないための、気軽な選択肢

最後に、かつての若竹さんのように「都会の生活に少し疲れたけれど、地方移住なんてハードルが高すぎる」と悩んでいる人たちへのメッセージをもらいました。

 

若竹さん「いきなり移住して定住しなくていいと思うんです。まずは2拠点生活からでいい。空き家を借りて、温泉があって、自然があって、キャンプもできる場所として楽しむ。

東京にいると、高い家賃や生活費のために働かなきゃいけないという不安が常につきまといますよね。でも、田舎なら圧倒的に固定費が低く抑えられる。東京での10万円の価値と、田舎での10万円の価値は、生きる上でのゆとりが全く違います」

 

「人手不足」と言われる地域だからこそ、やる気さえあれば受け入れてくれる土壌は、いたるところにあります。

 

若竹さん「人生を考える時に、本当にこのまま都会での『消費行動』だけでいいのかな、何かしら誰かのためになることを実感して生きたいな、って思った時。その選択肢の一つとして、田舎がある。そんな気軽な感じで、まずは人吉・球磨の扉を叩いてみてほしいですね」

 

病気と挫折によって、一度は「無為に過ごす時間」という、小さく閉じた世界にまで縮こまってしまった彼女の世界。

しかし、温泉のフロント、ZINE、レコードスナック。自らの手の届く接点から始まった小さな変革は、いま、人吉球磨10市町村をなだらかに繋ぐ、大きな循環の波へと広がり始めています。

 

 

おわりに

取材中、若竹さんの口から何度も「面白そうだから」「とりあえずやってみる」という言葉が飛び出しました。行政のプロジェクトの枠組みがどうあれ、あるいは周囲の評価がどうあれ、「自分が楽しいと思うことを、手の届くところから始める」という、そのブレない姿勢こそが彼女の最大の強みです。

最初は「嫌々のUターン」だったかもしれない。けれど、そんな後ろ向きなスタートであっても、自分自身のアンテナをパッと開きさえすれば、いつからだって、どんな状況からだって、自分の人生をいくらでも面白く耕していける。

彼女がこれから企てる軽やかな一歩一歩は、これからもずっと、この場所で続いていきます。