先輩移住者インタビュー
interview
「継ぐつもりはなかった」、畜産への道。
祖父の牧場を受け継ぎ、人吉でつくる自分の未来
人吉市
2026年宮崎県からUターン 簑毛裕司さん


「高校3年の夏ぐらいまでは、本当にやる気がなかったです」
祖父が営む牧場を継ぐため、2026年8月1日に宮崎から人吉へUターンした簑毛裕司(みのも・ひろし)さん。今年24歳を迎える彼の話は、そんな率直な言葉から始まりました。
身近にあったからこそ、畜産の大変さも知っていた。それでも、大学で牛と向き合い、牧場で働くうちに、「面白い」「もっと学びたい」と思うようになったといいます。
取材が始まったのは、8月26日の朝7時。簑毛さんが人吉に帰ってきて、まだ1か月もたっていないころでした。祖父が築いたものをどう生かし、自分の仕事として育てていくのか。始まったばかりの挑戦と、その決断に至るまでの思いを聞きました。

宮崎での学びと、人吉へのUターン。「なくなるのは、もったいない」。進路を変えた祖父の存在
もともと農業への関心はありましたが、実家で畜産を仕事にしようとは考えていませんでした。きつそうで、稼ぐのも難しそう。そんな印象が先に立っていたそうです。
一方で、祖父は「もし孫がやるなら」と、放牧地を広げ、牛舎を整えていました。
「祖父が、もし僕がやるんだったらって考えながら、広げたり建てたりしているのは知っていて。それがなくなるのは、ちょっともったいないなと思ったんです」
自分でやることも、選択肢に入れてみよう。高校3年の夏ごろ、宮崎大学の農学部で畜産を学ぶ道を選びました。
進学後に気持ちを動かしたのは、牛と直接関わる時間でした。所属した研究室は現場での作業が多く、実習でも牛に触れる機会がありました。
「実際にやってみたら、意外と楽しいなと思って。面白いし、やりがいがあるなと感じました」

任せてもらえたからこそ、結果を出したかった
牧場で働くきっかけは、宮崎大学の研修プログラム「ICEプロ」でした。その一環で、宮崎県綾町の牧場へ約2週間通いました。研修後に声をかけてもらい、その牧場でアルバイトを始めます。当初は卒業後すぐに人吉へ帰るつもりでしたが、現場を知るほどに「一度就職して、もっと勉強した方がいい」と考えるようになります。職場に相談し、卒業後はそのまま就職しました。
牧場では主に、子牛にミルクを与えて育てる「哺育」と、その後の成長を支える「育成」を経験しました。なかでも中心となったのが、生後3〜4か月ごろまでの子牛を世話する哺育の仕事です。
最初は職員と2人1組で仕事を覚え、やがて1人で担当を任されるように。そこで手応えを感じたのが、子牛の成長を示す数字でした。一定期間の体重増加を1日当たりに換算した「デイリーゲイン」という指標で、過去のデータと比べてよい結果が出るようになったのです。
成果が出た背景には、飼育環境の変化もあったと振り返ります。
「餌箱を変えてみたり、新しい牛舎ができて飼育スペースに余裕が生まれたり。ちょうど飼育頭数も少なく、一頭一頭に手間をかけられる時期だったので、そうした条件が重なったおかげもあります」
そうした環境の中で、仕事に向き合う原動力になっていたのは、「同僚には負けたくない」という気持ちでした。自分の考えをはっきり伝える姿勢も職場で受け止めてもらい、出産への対応など、任される仕事が増えていきました。
もちろん、うまくいくことばかりではありません。牛を失い、「何が足りなかったのか」「もっとこうできたのではないか」と考えた経験もありました。調子を崩す牛が続いたときには焦ったといいます。
一緒に働く職員と意見を交わし、上司にも相談する。失敗したら、次にどうするかを考える。その積み重ねを通じて技術を磨き、命を預かる仕事への向き合い方も深めていきました。

「あと2年はいたかった」。それでも帰ると決めた理由
「本当は、あと2年ぐらいはいたかったんです」
子牛を育てる仕事だけでなく、繁殖についても学びたかった。職場にも恵まれ、もっと経験を積みたい気持ちは残っていました。
それでも帰る時期を早めたのは、祖父の年齢に加え、祖父が以前のようには牛の仕事ができなくなっていることが気になったからでした。
「やるんだったら、きついけど、もう帰った方がいいんじゃないか。じいちゃんが元気なうちにやっておきたい、というのがあったので」
周囲からは「早くない?」とも言われました。同世代が旅行などを楽しむ姿を見ながら、自分のこれからを考えることもあったそうです。
それでも、数年後に帰って一から経営を組み立てるより、今から取りかかり、30歳になる手前までに基盤をつくる。その時間の使い方に、可能性を感じました。
「若いときにできることって、いっぱいあると思うので、そっちに賭ける価値はあるかなと思ったんです」

受け継いだ牧場で、自分のやり方をつくる最初の見直しは、毎日の餌やりから
帰郷してまず向き合ったのは、牧場の経営です。帰る前から家族と話し合い、事業計画書を作るなかで考えてきたことを、今度は目の前の牛や設備と照らし合わせています。
「うちに何が足りなくて、何が必要なのか。あるものをどう使えばいいのか。今は、それを考える時期だと思っています」
身近な課題の一つが、餌の与え方でした。
宮崎の職場では、特に細やかな世話が必要な子牛の時期には、餌の量を測り、成長に合わせて細かく調整していました。その経験から、実家でも一頭一頭の状態に合わせ、量や増やし方を見直したいと考えています。食べきれない餌を減らすことは、コストの削減にもつながります。
与える順番にも、自分なりの考えがあります。牧草と、複数の原料を組み合わせた「配合飼料」の関係を、人の食事に例えて説明してくれました。
「僕のイメージですが、草はご飯のような主食で、配合飼料はお肉などのおかずのようなものです。まずは主食の草をしっかり食べてもらって、そのうえで配合飼料を与える。そんな考え方です」

目標は50頭。そして、餌を自分でつくれる牧場へ
これからの目標は、大きく二つあります。牛の頭数を増やすことと、餌となる牧草を自分で生産できるようにすることです。
簑毛さんが小学校低学年のころには、60〜70頭ほどの牛がいて、牛舎はいっぱいだったといいます。現在の飼育頭数は17頭。まず目指しているのは、50頭ほどまで増やすことです。
「50頭ぐらいまでなら、今の体制で管理できると思うので。まずはそこを目標に、頭数を増やしていこうと思っています」
生活と牧場の経営を成り立たせるためにも、この規模を目指しています。
頭数を増やすには、餌の確保も欠かせません。現在は放牧に加え、保存用の牧草を購入しています。費用の負担だけでなく、今の仕入れ先から買い続けられるとは限らないことも、気がかりです。
「今後、取引先との取引がなくなるかもしれない。そうしたら、50頭いたとしても、餌を賄えないので」
そこで取り組みたいのが、牧草の自給です。
「安定した品質の餌を自分でつくれるようになれば、管理もしやすいし、牛の状態もよくなると思うので。経営の面でも、牛のためにも、そこはやらないといけないと思っています」
牧草をつくるための農地はあるものの、面積が小さく、目指す規模には足りません。土地の購入も考えていますが、探すのは簡単ではありません。必要な農地や機械をどう確保するかが、これからの課題です。

人吉での再出発を支える、祖父のつながり
祖父から受け継いだのは、牛舎や放牧地だけではありませんでした。
地域で名前を伝えると、「簑毛さんとこの孫ね!」と分かってもらえる。帰って間もない簑毛さんにとって、祖父が長年築いてきた人間関係は、大きな支えになっています。
「コミュニケーションが一番大事だと思っているので。そういう部分では、最初の壁がなかったのかなと思います」
初期投資の負担を考えると、設備が何もない状態からなら、自分は始めていなかったと思うとも話します。今ある基盤のありがたさを感じています。
取材の途中には、人懐っこい牛の話題にもなりました。もともとは売るつもりだったものの、祖父が連れて帰ってきて、そのまま牧場に残ることになった牛だそうです。
「連れて帰ってきたならしょうがないねって笑。今は、うちでお母さんとして活躍してもらっています」
経営や数字の話の合間に、そんなやりとりが挟まります。犬も猫も牛も好きだという簑毛さん。牧場を仕事として続けるための現実的な視点と、目の前の動物への親しみ。その両方が、話の端々に表れていました。

人がいないことが、逆にチャンス。人吉球磨で挑戦したい人へ
移住やUターンを考える人に伝えたいことを尋ねると、簑毛さんは、人が少ない地域だからこその可能性について話してくれました。
「都会と比べると、交通など不便な部分はあります。でも、人がいないことが逆にチャンスというか、取り組めることはいっぱいあると思うんです。何かしたいのであれば、来てもらえたら。周りの人も協力してくれると思います」
農業についても、大変さを踏まえたうえで、挑戦する意味を感じています。食べ物をつくり、使われなくなった農地を生かし、家族が続けてきたものを次へつなぐ。その仕事の意義を、こう語ってくれました。
「農業は、食を支え、命を支える仕事です。それだけの意義と、大きな可能性があると思っています。地元に戻って農業をやろうかと迷っている人がいるなら、ぜひ挑戦してほしいですね。」
かつては魅力を感じられなかった仕事を、今は自分の言葉で「面白い」と語る簑毛さん。帰郷からひと月足らずで、毎日の餌やりから、頭数を増やす計画、牧草の自給まで、取り組みたいことが見えてきています。
祖父が広げてきた牧場を、これからは自分がどう育てていくか。受け継いだ場所で、簑毛さん自身の未来をつくる挑戦が始まっています。










